耳鳴り 1
■東京のビジネスホテル
男がホテルに着いたのは18時を過ぎていた。
都心にあるホテルは、平日だと言うのに空室が少なく、危うく駅からもっと離れたホテルに泊まるとこだった。
だが、寸でで運が良かったらしく、最後の一室を予約することが出来たという。
「部屋を予約していた小堀です。チェックインしたいのですが」
男・小堀は埼玉の隅から仕事の為訪れていた。滞在の予定は一泊。明日の朝が早いため、念のためにと前乗りでやってきた。
そういったわけで今日は泊まりだが、特になにか用事があるわけでもない。
どうせ家にいてもすることなどは知れている。そう思った小堀は、だったらたまには違う土地で過ごそうと思ったのだ。
「小堀様……ですか? 失礼ですが、本日のご予約で間違いございませんでしょうか」
「はあ? 確かに今日ですよ!」
思わず小堀は声を荒らげそうになるのを、言葉の中盤で抑えた。
「か、かしこまりました……! お調べ致しますのでもう少々をお待ちください」
埼玉から東京まで3時間。確かに長旅……ではあったが、まだ20代後半の小堀にとって疲れたというほどの旅でもない。
ではなぜこんなにも彼が苛立っているのか。
それにはこんな理由があった。
■予約の電話
それは、2週間前に遡る。
「もしもし、あ……すみません。11月の4日なんですけど、部屋……空いてますか?」
小堀は今回の出張で宿泊するホテルを探していた。
出来るだけ駅と目的地に近い立地のホテルを探していたが、条件にあうホテルというのが中々見つからない。
東京と言う土地感もないため、あまり小回りを利かそうと知恵を絞っても、恐らくは裏目に出てしまう。元々慎重派でもある小堀は、そう考えるとピックアップ出来るホテルの数が限られている状態にため息を吐いた。
その中で、唯一好感触な反応が帰ってきたのが、このホテルである。
「……11月4日でしょうか。今のところは一室空いておりますが、お取りしておきますか?」
「本当ですか?! じゃあ一室お願いします。名前は小堀……」
そのやり取りがあった更に一週間後、東京出張を来週に控えた小堀は、念のため確認の電話を入れた。
「申し訳ありません、その日は満室でして……」
実に間の抜けた見当はずれの回答に、小堀は少しの間言葉を失ってしまった。
「満室って、先週部屋を抑えたはずですよね!」
「いえ、小堀様でご予約はありませんが……」
「じゃあ電話した人に代わってくださいよ! 先週の木曜日20時頃に居た人です!」
その悶着の後、小堀を応対したフロントマンが電話を代わり、自分のミスで部屋を失くしたと謝った。
普通の部屋は満室だが、普段は一般の客には貸していない部屋があるので、お詫びにその部屋を通常の価格で用意する。フロントマンはそう約束をしてくれたのだった。
そういうことならば……と、事を穏便に済ませた小堀だったが、当日になってまた同じような対応をされたのだ。かれが怒声を上げるのも無理はない。
「小堀様ですね!? ……大変申し訳ありません、伝達が行き届いておりませんで。すぐにご案内いたします!」
慌てた様子で奥から別のフロントマンがやってきた。声を聞き、この男が自分の電話応対をしたのだと悟る。
「ほんっとに頼むよ」
自分の予約が通っていてほっとしたのと、2度にわたって名前がないと言われた苛立ちを飽和させながら、小堀はそう言い捨てるとキーを待った。
■豪華な部屋
キーを渡された小堀は、エレベーターで13階まで行くと、1304号へと向かった。
渡されたキーの番号と、扉に書いてある番号が一致しているのを確認すると小堀はキーを回して中へと入る。
「今時カードキーじゃないのも珍しいな」
最近のビジネスホテルはというと、もっぱらカードキーが主流だ。その中でキーを渡されるシステムは、少し珍しいな……などと小堀は思った。
「おお~……」
部屋は確かに広かった。仕事でホテルに泊まる機会は、職業柄ちょくちょくあるがその中でもぶっちぎりで一番豪華な部屋だった。
いつも泊まる部屋の2倍の広さもあり、ベッドも大きく弾力がある。バストイレも別である。
「しょうがない、許してやっか」
流石にこの部屋を見ると小堀も機嫌を直すほかない。
小堀は荷物を床に下すと、シャワーを浴びようとバスルームへ向かう。
「……折角だからバスタブにお湯を溜めて入ろうかな」
入浴するには少し早い時間だったが、どうせ明日の朝にもシャワーを浴びるつもりだった小堀は、早めに風呂に入ってから外へ食事に出かけようと思ったのだ。
キュキュ
少し妙な音を立ててバスタブに湯を供給する蛇口を見ると、小堀は思わず言葉を失った。
「……な、なんだよこれ」
蛇口から流れ出る湯は、茶色く濁り、ほんの少しだがどろりとした感じのするものだった。
「気持ち悪ぃな!」
すぐに透明でさらさらな湯へと変わったが、バスタブに少し溜まった湯は茶色く不快にさせるもので、折角上がった小堀のテンションを再び下げるには充分だった。
「錆びかなんかかな」
このホテルが比較的古い築のものだと、調べた時点で解っていた。それゆえのものかと思い、小堀は無理に自分を納得させたものの、流石に風呂に入る気は失せてしまった。
「シャワーは帰ってからにしよう」
バスタブの栓を抜き溜めた湯を流すと、小堀はなにか美味い物でも食べようと東京の夜へと出かけてゆくのだった。
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